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近代化以前の日本人に学ぶ 働き甲斐のある人間らしい労働とは?

2014/01/20   更新:2018/11/30

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海賊とよばれた男』を読み終えて、感激の余韻と同時に疑問が残った。2013年に本屋大賞を受賞し、上下巻累計で170万部を目前にしたベストセラーなので、お読みになった方も多いと思う。小さな個人商店から始まった出光産業(作中では国岡商店)が、世界の強豪たちと互角に渡り合う姿を描いた歴史経済小説の快作である。この本を読んで驚いたのが、主人公国岡鐡造のモデルとなった出光佐三氏の独自の組織論だ。

なにせクビなし、タイムカードなし、定年なし、労働組合なし。常識破りの組織ながら、出光産業の社員たちは「大家族主義」をスローガンに一致団結して競合他社を寄せ付けないほどの猛烈な働きぶりを見せる。しかも、創業者が大事な決断を下すときには常に個人の利益や会社の儲けよりも、日本にとっての幸せや、世界全体で見たときの平和や福祉を優先しているところが素晴らしい。

一体どうやったらこんな組織や組織人が作れるのであろうか? これは創業者である出光氏のカリスマ性があってこその特殊な例なのであろうか。

出光佐三氏著の『マルクスが日本に生まれていたら』によると、会社内の人間関係を家族のような情で結びつけることや、損得勘定抜きの奉仕の精神は、日本民族にもともと備わった美徳だという。出光産業が特別なのではなく、実はこれが日本人本来の働き方なのだそうだ。そこで、欧米の影響を受けて資本主義的価値観が形成される前の、本来の日本人の働き方を探ってみた。

日本特有の「家族主義」とは何か?

日本人の民族性は、その人間関係の特異さにあらわれていると思う。それをあらわすのが、出光のスローガンでもある「家族主義」である。
家族主義とは何か?
和歌森太郎著の『日本人の再発見』によると、それには二つの意味がある。
一つは、家、一族の中に個々人が没しきって、族縁集団の中でそれ本位にものを考え、行動するという傾向のこと。古代国家においては、家族などの世帯共同体を一つの単位として社会が成り立っていた。そのため個人的な利益よりも常に集団としての幸せを尊重する、互譲互助の精神が育まれていったのだ。さらには、「結(ユイ)」と呼ばれる労働力交換の仕組みを作って、集団同士で助け合うことを常としていた。

つまり日本の社会には、仲の良い家族という集団を中心に、愛情と信頼関係によって他の集団を結びつけるというネットワークが形成されていたのだ。

家族主義のもう一つの特徴は、家族や一族とは縁もない他人とのあいだに、支配・被支配の関係ができた時にも、その間柄を親子関係に見立てたところにある。例えば親方と子方のような関係でも、単なる主従関係ではなく意識の通い合う情緒的な結びつきを作っていた。このような仮の親子関係ができると、雇われる側は、主人を本当の親のように慕い、長いあいだ仕えるという習俗があった。雇う側も相手をわが子のように愛情と鍛錬でもって立派に成長させた。

出光の理想とする家族主義も、まさにこのことを指しているのだと思う。今や崩壊しかかっている終身雇用や年功序列といった制度も、もともとは家族主義的な考えから生まれたものだと考えるとしっくりくる。

日本的な家族主義は、己の利益よりも集団としての幸せを尊重するような人間性を育んでいったのであるが、その特性が存分に発揮され、円熟した助け合いの文化を生み出したのが江戸時代だった。江戸時代は今では考えられないほどの超ボランティア社会だったのである。

火消しもボランティア!? 奉仕活動が当たり前だった江戸の暮らし

江戸時代においては、我々の先祖は身の回りのほとんどの問題を自主的な助け合いによって解決、処理していた。長屋における、みそ、しょうゆの貸し借りといった小さなことから、今では行政機関がやるような公的なことまで庶民が自分たちで行ったのである。当時、世界最大の都市といわれていた江戸の複雑な行政のすべてを役人が行うことは難しく、その行き届かない部分を民間の自主的な活動により埋めていたのだ。

1866年に来日したイタリー海軍中佐のヴィットリオ・アルミニヨンは当時の江戸の様子についてこう記している。

「日本人の暮らしでは、貧困が暗く悲惨な形であらわれることはあまりない。人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階層にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」

おそらく互譲互助が生活の中に根付いていたため、人々は貧しくても困窮することなく暮らすことができたのであろう。

江戸においてはボランティアは社会システムの一部だった。例えば鳶職人たちは町の火消しが担当である。彼らはたとえ仕事中であってもいったん火事が起これば仕事を放り出して火事場に駆けつけた。建物の構造をよく知っている彼らが、古典的消化技術である破壊消防などを行うのである。町入用という、町会費のような民間の資金から手当が出ていたが、もちろん命とひきかえにしてもいいほどの金額ではなかった。それでも鳶の多くは、とびきり危険できついのを承知で消火に参加した。とくにどの組が消火に当たっているかを示す纏をもつ「纏持ち」は火消しのシンボルで、いつ焼け落ちるとも分からない、火の粉が降り注ぐ屋根の上に登って決死の覚悟で立ちつくしたのだという。なぜそんなことをするのか? 金銭の問題ではない。それがカッコよく誇り高い活動だからであり、命を賭けるにふさわしい人助けだったからである。

長屋の大家さんは、町の雑務処理に関する公用を全部引き受けていた。具体的には人別帳(現代の戸籍と謄本のようなもの)を作成したり、道路の掃除や冬の火の番、夜回りなどを担当した。ときには捨て子や行き倒れなどの処遇も決めていたそうである。(石川 英輔 、田中 優子 著『大江戸ボランティア事情』より)

また、江戸っ子は「朝飯前・使役・はたらく」という三つの労働を日常的に行っていたという説もある。朝飯前の労働というのは、「そんなことは朝飯前でえ」という言葉のとおり、朝飯前にサラリと行う近所付き合いである。近所を一巡し、どぶ板が壊れていれば対処する。病人や老人、母子家庭がいれば、具合はどうか、手助けすることはないかと声かけて回り、今日一日のご近所の状態を把握しておく。そして朝食後の午前中は、生活のためのビジネス(使役)に精を出す。そして午後からの労働は、朝回りで気になっていた人やモノ、コトに対するボランティアを行う(はたらく=「はたを楽にする」)。人が相談事を持ってくることもあれば、人のために役所に掛け合いにいくこともあり、とにかく多用だったようだ。

このように江戸商人の一日は、三分の一以上が世のため、人のために費やされていた。そして人間として最も評価されたのは、お金とは無縁の「はたを楽にする」働き方だったのだ。

お金よりも大事な価値観があった明治初期の日本人

旧約聖書には「労働は苦役である」ということが書いてある。だが日本人にとって労働は必ずしも苦役ではなかった。明治初期に来日したモースの見聞録に、その時代の労働の特徴が記されている。横浜に上陸したモースは、歌いながらリズミカルに杭打ち機械を扱う労働者たちを見て、こんな感想を残した。

「まことにばからしい時間の浪費であるように思われた。時間の十分の九は歌を唄うのに費やされるのであった」。

また日光でも同じような光景を見た。大工たちが大勢で歌いながら揚巻機をまわして材木を吊り上げていたのだ。彼は「ちょっとでも動いたり努力したりするまでに、一分間あるいはそれ以上あいだ歌を唄う」のは非常な時間の浪費ではないかと疑問に思ったようだ。

確かに、歌っている時間を省いて作業だけに集中すれば効率は飛躍的に上がるに違いない。だが彼らは効率だけを追求して、労働が何の喜びもない苦役になることを拒んだのだ。『逝きし世の面影』の表現を借りれば、非効率極まりないように思えるこの労働の形態は、「それ自体が純粋な情熱をかきたて、命を輝かせる生命活動」となっていたのである。エンゲルスは「自由意志による生産的活動が、われわれの知っている最高の喜びであり、強制労働こそ最も残酷で屈辱的な苦痛である」と著書の中で書いたが、まさにこの時代の労働は人々にとっての喜びであり、自由な自己表現の一つだったのだ。だからこそ、労働が強制により苦痛に変わるのを拒んだと言えるだろう。明治政府の法律顧問として在日したブスケは、日本人特有の仕事観についてこう記録している。

「必要なものはもつが、余計なものを得ようとは思わない。大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、ひとつの仕事を終えて、もう一つの仕事にとりかかろうとも決してしない。一人の労働者に何かの仕事を命じて見給え。彼は常に必要以上の時間を要求するだろう。注文を取り消すと言って脅して見給え。彼は自分がうけてよいと思う以上の疲労に身をさらすよりも、その仕事を放棄するだろう」。

まだ労働を時間単位で切り売りするという近代的な観念のない時代においては、あくせく働いて富を得るよりも、ゆとりのある生活を楽しむことのほうが重視されたようである。彼らは簡素な暮らしをしていたが、景色を眺めながらぶらぶらと散歩したり、仲間とお茶をすすりながら会話するというような楽しみがたくさんあり、家族が暮らせるだけのお金さえ手に入ればそれで満足だった。

個人的な成功や贅沢を求めず、簡素ながらも幸福に暮らす日本人の様子は、明治以前に日本を訪れた外国人からも報告されている。1859年に駐日総領事として着任したオールコックは、「これほど簡素な生活なのに満足している住民は初めて見た」と書き記した。彼は日本人が幸せそうな理由をこう解釈している。

「これほど広く一般国民が贅沢さを必要としないということは、すべての人々がごくわずかなもので生活できるということである。幸福よりも惨めさの源泉になり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲に基づく競争がこの国には存在しない」

また同じ頃来日したタウンゼント・ハリスは 、『日本滞在記』にこう記録している。

「彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない―これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる」

ハリスが懸念したとおり、労働を純粋な喜びとして感じる価値観や、質素な暮らしでも満足するという日本人らしさは近代化以降急速に影をひそめていったのである。

よりよい社会を作るために“日本人らしさ”を取り戻す

近代化そのものは決して悪いものではない。近代化による経済成長は、画期的な衣食住の向上をもたらし、国際社会において競争力のある国家を形成するために必要なものだった。

だが、現代の世の中がどこかギスギスしているように思えるのは、もともとこの地に根づいていた家族主義的なつながりの呼吸が失われ、個人が孤立し、対立闘争への道を走らされているせいではないだろうか。

江戸時代と比べると、網の目のように行政や福祉は行き渡っているのに、アパートの隣の部屋で餓死やネグレクトが起こっていても気づかないくらい他人に無関心で、自主的な解決能力に欠ける世の中になってしまった。

労働問題も深刻である。「パワハラ」「うつ病」「ブラック企業」などの言葉が新聞の見出しに踊り、労働トラブルに関する総合労働相談件数は、5年連続で100万件を超えているという。(平成24年度個別労働紛争解決制度施行状況 より)
過労や職場のいじめでうつ病などの精神疾患にかかり、2012年度に労災認定された人も三年連続で増加しているそうだ。職場の上司や同僚との情緒的なつながりなしに、成果や効率ばかり
が求められた結果、そのやり方に馴染まない労働者の心が蝕まれているのではないだろうか?

メディアでは「勝ち組負け組」という言葉が飛び交うが、この場合の「勝ち組」はあくまで経済的な豊かさを指すものである。なぜ勝者と資産家ばかりがもてはやされるのだろうか?
またある時にはテレビのコメンテーターが「現代の若者は消費意欲が弱い」とハッパをかけていた。しかし「所得と消費の拡大」のみが本当の人間の幸せなのだろうか?

資本主義による弊害の一つは、私たちの人間重視の価値観をいつのまにか拝金主義に塗り替えてしまったことだと思う。労働する目的は金を得ることで、その金を使うことが人生の喜びなのだろうか。私たちはもっと多元的な生き甲斐を持っても良いはずである。

金や物以外のものを目的に働くことについて、冒頭にも登場した出光佐三氏はこう語っている。

「マルクスは、資本主義下では労働は苦役になると言っているということだが、それは自分のために働くか、全体のために働くかということで、苦役ともなれば楽しみともなるんだ。自分のために働くということであれば、他人のために働くことは苦役になるだろうが、全体の平和・福祉のために働くということならば、それは苦役どころか、尊い、楽しい労働となる。
そこに日本民族と外国民族の違いがあるんだが、外国は自己・利己のために働く。日本民族は自分のためにも働くが、さらにその上にお互いのため、全体のために働くという目標をもっているんだ。お互いのため、皆のために働くとなれば、そこに労働の切り売りではなくて、労働は神聖なものであるという考えが出てくる。そしてその働きは非常に力強いものとなるんだ」
(出光佐三氏著『マルクスが日本に生まれていたら』より)

出光氏の言葉にある「働く」という定義を自分の本職だけでなく日常生活にまで拡大すると、他人の役にたつ労働というのは無限にある。通勤時に、電車の切符の買い方が分からない人がいたらアドバイスしてあげたり、階段で重い物を持っている人がいたら手伝ってあげるというのも「はたを楽にする」働き方である。

自分は何のために働くかという目的を明確にし、他人に家族的な真心を持って接するように心掛けるだけで、見えている景色が変わってくるはずだ。

そのためには、出勤時間ギリギリまで寝て、他人を突き飛ばすような勢いで電車に駆け込んでいるようではダメである。自分に余裕が無ければ人に親切にするのは難しい。時間や体力や心の余裕といった自分のリソースを、他人のために少しとっておくことが重要だ。そうすればいつでも手が差し伸べられる。

上で見てきたように、日本人はもともと利己的な感情を律し、誰かのために働くことで自分も幸せになれるという、世界的に見ても優れた美徳を備えている。それは表面的には見えないかもしれないが、私たちのDNAの中に確かに息づいている。現代人は冷たいと言われるが、リアルな人間関係のネットワークが断ち切られた結果、他人とどう接していいか分からないから無関心のフリをしているだけだと信じたい。

お互いに日常的に誰かの役に立つことをし、「ありがとう」と感謝されるようになると、毎日が充実感に満ちあふれ幸福に感じられる。そうなればきっと街中に笑顔も増え、もっと明るい社会になるだろう。

かつて世界が称賛した日本人ならではの美徳を取り戻し、はたを楽にするため、社会を良くするために奉仕の精神で行動する。それが現代の私たちが人間らしい暮らしと働き方を実現する鍵になるのではないだろうか。

☆☆

文/三原明日香

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