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子どもにふるさとを 〜会社を辞めないUターン〜

2013/02/06   更新:2018/11/30

田名辺 健人さん

Profile

田名辺 健人 Tanabe Takehito
1972年函館生まれ札幌育ち。筑波大学大学院理工学研究科中退。
たまたま研究室にあったMacintosh SE30に衝撃を受ける。アーティストマネジメント会社にてCD-ROM制作に携わった後、印刷会社でDTPの仕事に就く。その傍らで独学でプログラミングを勉強。2001年に欧文印刷株式会社へプログラマーとして入社。以後、自動組版システムの開発、Webでの名刺受発注システム、ブログ製本サービスなどのシステムを開発、運用する。2009年初頭よりシステムインフラとしてAWS(Amazon Web Services)を積極的に導入し、以後のサービスは全てAWS上で運用する。
JAWS-UG(AWSユーザーグループ)のコアメンバーとしても活動。2011年11月、地元札幌にUターン。クラウドを全面活用したリモート勤務を開始する。
Blog: http://blog.dateofrock.com/
Twitter: @dateofrock

北海道札幌市に暮らす田名辺さんの朝一番の仕事は、小学校一年生の息子、陽心(はるむね)君を送ること。学校行きのバスが出るバス停に陽心君を送って自宅に戻ると、今の時期は雪かき、夏場は家庭菜園の手入れなどの雑用をした後、9時頃から会社の業務を開始する。

田名辺さんは欧文印刷という印刷会社に勤めるソフトウエアエンジニアだ。以前は神奈川県の逗子から東京都文京区にあるオフィスに通勤していたが、2011年11月に出身地である札幌にUターン。現在は自宅2階の仕事場で在宅勤務をしている。

会社には、Uターンを支援したり遠隔地での在宅勤務を認める制度があったりしたわけではない。だから札幌に戻る決心をしたときは、会社を辞める覚悟もしていたそうだ。しかし結果的には辞めることなく、以前に担当していた仕事を今も続けている。

その経緯については「介護と仕事(「エンジニアサポートCROSS 2013」イベントレポート)」でも紹介したが、今回は札幌のご自宅に伺い、再度じっくりとお話を聞いた。

移住の「夢」が「目標」に変わったとき

田名辺さんは高校卒業まで札幌で育ったが、大学進学を機に関東に移り、そのまま東京の会社で仕事をするようになった。

しかし、子どもが生まれてからは「いつかは北海道に…」という思いを抱くようになる。故郷にそれほど思い入れがあるつもりはなかったけれど、北海道の大自然は田名辺さんにとっての原風景となっていて、ふとした瞬間に「ふるさとの風景」として心に浮かぶ。子どもにもそんなふるさとを残してやりたいし、自然の中でのびのびと育てたい。そう考えるようになったのだ。

でも、ある時点まではそれは漠然とした「夢」でしかなかった。

故郷といっても、札幌を離れてからすでに20年。戻ったとしてもどんな仕事があるのか分からない。東京で長年の経験を積んできた印刷業界やIT系の仕事を辞めて、全く違う仕事を始めるのか? そう考えると、札幌に戻るというのは非現実的なことに思える。忙しさの中で、それ以上具体的には考えることなく、日々は過ぎていった。

ところが、2011年3月11日の大震災を境に状況が変わる。

地震の直後は電車が止まり、通勤ができない。ようやく出社してみると、データを格納していた装置が棚から落下していた。どちらも、想定外のできごとだった。

ブログ製本サービス「MyBooks.jp」といった顧客向けのWebサービスの開発と運用を担当している田名辺さんは、社内に設置したハードウェア上でデータやプログラムを管理することのリスクを痛感し、すぐにそれらを全てAmazonのクラウドサーバー上に移した。

これにより、データやプログラムは国内外のAmazonのデータセンターで保管・バックアップされることになり、会社で不測の事態がおきたとしても失われる心配はなくなった。その上、会社に行けなくても、ネットがあれば仕事をするのに必要な情報にアクセスすることが可能になった。

また、ちょうどその頃に北海道にいる親の病気が判明した。幸い、すぐにかけつけなければいけないという状態ではなかったが、いずれはそういう時がくるということを考えると、東京と北海道は遠い。

これがきっかけで、田名辺さんは札幌に移住することを真剣に考えるようになった。仕事に必要な情報は全てクラウド上にあるのだから、場所が変わっても今までの仕事を続けることが「物理的には」可能になったのだ。あとは周囲がそれを許してくれるかどうか。

「今動かずにいつ動くのだ!」と決心した田名辺さんは、移住という目標に向かって動き出した。

まずは家族の理解から

「東京から北海道に移住したというと、『奥さんがよく納得したね』ってみんなに言われるんですよ」と田名辺さん。

ごちそうになったお昼ごはん。使われているのはすべて北海道産の野菜。左奥は北海道の郷土料理のにしん漬けで、ご近所さんからのおすそわけだそう。

ごちそうになったお昼ごはん。使われているのはすべて北海道産の野菜。左奥は北海道の郷土料理のにしん漬けで、ご近所さんからのおすそわけだそう。

奥さんの聖子さんは、福岡生まれの横浜育ちで、北海道で暮らすのは初めて。例えば秋までにとれた地元の野菜を大量に箱買いして置いておくと春までずっと食べられるなど、この一年間で北国ならではの暮らし方を学んできたそうだ。

もともとアウトドア派の聖子さんも、子どもが生まれてからはなるべく自然に近いところで暮らしたいという思いを持っていた。それで都心から少しずつ離れ、札幌に来る前の1年ほどは、一家は逗子に住んでいた。そこが暮らしやすければそのまま逗子に定住したいと考えていて、夫の田名辺さんが札幌に帰りたいと思っているとはつい最近まで聞いたこともなかったそう。きっと最初は驚いただろう。

移住を実現させるには、まずは聖子さんの理解を得ることが最重要。そこで、田名辺さんはある作戦を実行した。移住するかどうかの結論を出す前に、聖子さんと陽心君を北海道の伊達紋別の施設で行われるサマープログラムと知り合いがいるニセコのシェアハウスに送り出し、北海道の生活を体験してもらったのだ。1ヶ月ほど、夏の北海道を満喫したふたりの感想は、「最高!」だったという。

そんな田名辺さんの作戦が功を奏したということもあるだろうが、聖子さんがとても柔軟な人であることも、一家での移住を決断できた理由かもしれない。

妻の聖子さん、息子の陽心君と。

妻の聖子さん、息子の陽心君と。

いよいよ札幌に移動する時、田名辺さんは長めの休みをとり、車で東北の各地を旅行しながら1週間以上かけて札幌にたどり着いた。しかもその時点では札幌で住む家は決めておらず、船にのせた引越しの荷物が到着するギリギリ直前に、今の家を見つけたのだそう。なんて自由で冒険心に満ちた家族だろう!

旅をしながら移動した経験は、聖子さんの理想の生活のイメージにも影響を与えたという。

「子どもが生まれてから、いずれはどこかに定住した方がいいって思っていたところがあったんです。でも寄り道しながらここまで来た時に色々ないいところを見てきて、日本にこんなにたくさんいいところがあるんなら、季節によって移動しながら生活したりできないかな、と思って…。その場合子どもの学校が困るかもしれないけど、それだってこれからはホームスクーリングとかできるかもしれないし、移動しながら暮らす人って出てくるんじゃないかと思いますよ」

田名辺さんも、生活の基盤は北海道、という意識はあるものの、「不都合が出てきたら、そのときはまた動けばいい」と考えているのだそう。
ふたりと話していると、仕事をする場所や勉強をする場所に縛られなければ、それこそ遊牧民のように、良い場所を求めて家族で移動していくような生活もありかも…、と思わされる。

初めてのケースで、自分も会社も「どうしましょう…」

家族の意志が固まったら、次は会社との交渉である。

やはり話の持って行き方が難しかった。

「『震災と親のことがあって、札幌に戻りたい。どうしましょう』と伝えたんですが、それを聞いた会社の方も『どうしましょう』と…」

前例もなく、きっと予想もしていなかった田名辺さんの希望に、相談された方もとまどっただろう。

色々と相談する中で、最終的には、札幌で在宅勤務という形が良いだろうという結論に至った。もともと週1回まで在宅勤務ができるという制度があったので、それを拡大解釈する形で運用することになったのだそうだ。

そして、問題なくやれるかどうかを確認するために、当時の逗子の自宅で1週間の在宅勤務お試し期間を設けてみた。そうすると、意外にもスムーズに仕事が進んだのだ。最初はびっくりしていた同僚も、この「お試し期間」を経て、納得してくれたという。

ちなみにこのときから、田名辺さんと東京のオフィスにいる他のメンバーは連絡手段としてSkypeを使っている。つなぎっぱなしではないが、常にログイン状態にしておき、必要なときはすぐ呼び出せるようにするというのが、ルール。

導入の時点ではみんながSkypeに慣れているというわけではなかったものの、東京側はSkype専用の共有パソコンをひとつ置き、必要な人がそれを使って田名辺さんと連絡をとる、という形でうまく運用できているそう。いわば「田名辺さんホットライン」である。

仕事場の机はDIYが趣味の田名辺さんの自作。
右手にあるMacbook Airを、東京オフィスとのSkype用にしている。

冬は窓の外が雪で真っ白だが、夏はこのように、緑がいっぱいで明るい。
(写真は田名辺さん提供)

大きかった社外コミュニティの存在

それまでの実績や「お試し期間」を設けるといった工夫があってこそだろうが、会社から遠距離の完全在宅勤務が認められたというのはやはりとてもラッキーなこと。最悪の場合は会社を辞めて無職になることも、田名辺さんは覚悟していた。

それでもなんとかやっていけるだろうと思えたのは、社外コミュニティの存在が大きかった。

AWS User Group – Japan(通称JAWS-UG)という、Amazonのクラウドサービスを利用するユーザーのコミュニティには発足当初から参加し、勉強会で発表したり、Ustreamの配信担当をしたりと、積極的に活動してきた。また、札幌支部にもよく遊びに行っていて、もし会社を辞めても、コミュニティのつながりを通じて誰かの仕事を手伝ったりすることはできるんじゃないか、という目論見があったのだ。

在宅勤務になった今も、自宅に引きこもらないよう、勉強会などがあればなるべく時間を作って行くようにしている。最近は「北海道の楽しい100人」という集まりで新しいつながりを作ったり、札幌内にある「Garage labs(ガレージラボ)」などのコワーキングスペースも開拓中だそうだ。

まだまだ手探り状態の働き方

陽心君の通うのは自然環境に恵まれた少人数の学校。人数が少ない分親同士も仲良くなれるそう。
これはクリスマス会で自宅に集まった子どもたちが庭で遊ぶ様子。
(写真は田名辺さん提供)


札幌に移住して1年と少しがたち、すっかり生活のペースも変わった。

東京で働いていた時は通勤に往復4時間を費やしていて、帰宅は日付が変わってからになることも多かった。だから陽心君は毎朝「いってらっしゃい。また明日ねー」と言って田名辺さんを見送っていたというが、今は田名辺さんが「いってらっしゃい」を言う立場。家族と顔をあわせる時間も格段に増えている。

在宅勤務だと、いつでも仕事ができるしいつでも休めるということでダレてしまう可能性もあるが、陽心君の送り迎えがあることで、生活のペースを保てているのがありがたいのだそうだ。

仕事に関しては、離れていて見えない分、以前よりも報告や成果物などのアウトプットをちゃんとしようと思うようになった。会議があれば事前に資料の準備をするなど、田名辺さんがその場にいないことで他の人が不便に思うことがないように、ということを意識している。

その結果として仕事の効率は良くなったし、(ちょっと気軽に声をかけにくいということはあるけれど)職場でのコミュニケーション面でも大きな問題はない。

ただし、これはそれまで10年間一緒に仕事をしてきたというベースがある相手だからこそなりたつことなのかもしれない。

「もしこれから新しく入ってくる人がいたら?」と聞くと、田名辺さんは「まずはリアルに会いに行って、細かい事は直接話をするステップが必要だと思う」と答えてくれた。

最近では田名辺さんのブログを見た人から、「自分も地元に戻って仕事したいんだけど…」と相談されることもある。

「地方に戻りたい人はいっぱいいるんだけど、なかなか仕事がないという状態ですよね。他に自分のような働き方をしている人はほとんど知らないので、相談されてもアドバイスするのが難しいと感じています。

ただ、地元に戻りたい理由が、通勤に疲れたからとか、後ろ向きな理由だけだと絶対うまくいかないでしょう。前向きな動機があれば、あとは具体的にどう実現していくかだと思う。今は技術的な面では、安く簡単に使えるツールがたくさんあるので」

また、人の目がないと仕事ができないというタイプの人だとやっぱり難しいし、同じ在宅勤務にも田名辺さんのようなフルタイム型もあれば、時々在宅のような形もあり、人によって適するやり方は違うだろう、と話してくれた。

田名辺さんのところでもまだまだ手探りの状態なので、逆に他の会社でのうまいやり方などをもっと知りたいと思っているという。

ノウハウが共有され、うまくいくケースが増えることで、Uターンしたい人たちの希望が叶えられるチャンスも広がっていくだろう。このサイトがその一助になるように、これからも様々な働き方やコミュニケーションの仕方を紹介していきたい。

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在宅勤務の様子や、神奈川から札幌に移動する旅の記録が、田名辺さんのブログに詳しく紹介されています。
ぜひこちらもご覧ください!
code.rock(ラベルが「Telework」の記事一覧)
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取材・文・撮影/やつづか えり (5,6枚目の写真は田名辺さん提供)

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