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NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(中編) マドレボニータ 八田吏さん

2014/12/29   更新:2018/11/30

NPO法人マドレボニータで働く三人の女性へのインタビューからNPO法人での働き方やそこにいたるまでの道筋などを知るシリーズ、第二弾は元国語教師の八田吏(ハッタ ツカサ)さんに登場いただく。

「前編」はこちら

八田吏さん

Profile

八田吏 Hatta Tsukasa

1976年静岡県生まれ。中央大学文学部卒。
大学卒業後、公立小中学校、日本語学校、進学塾などで国語教師として教壇に立つ。家庭のあり方が生徒に及ぼす影響やそのことに悩む母たちの姿を、日々感じつつ働く。2008年出産。マドレニータの産後クラスに参加し、「美しい母がふえれば、世界はもっとよくなる」のメッセージに、それまでに出会った多くの母たちの姿を重ね、この活動に関わりたい、と正会員に。2009年からはボランティアスタッフとして参画。第二子出産後の復職以降、教員としてのあり方と家族も含めた自分自身のあり方、生き方の齟齬に悩むようになり、退職。2013年、オンラインストア「マドレストア」のスタッフとして働き始める。事業へのコミットを徐々に強め、現在、マドレストア、会員、広報担当。

マドレとの出会いで教員としての復職を決意

前回の北澤さん同様、八田さんも「産後教室」の生徒としてマドレボニータに出会い、その活動に賛同して正会員になったという経緯がある。

第一子出産を機に勤めていた学校を退職した八田さんは、そのときまでは子育てに専念するつもりだったが、産後教室での対話を通じ、再就職をしたいと考えるようになったという。そしてその思いは、「NECワーキングマザーサロン」に参加することで、ますます強まったようだ。

「NECワーキングマザーサロン」とは、マドレボニータとNECが協働し、2009年から継続的に開催しているプログラムだ。毎年6ヶ月間に渡り、「母となって働く」をテーマに語りあうワークショップが、日本各地で開催される。

この「ワーキングマザーサロン」の特徴は、ワークショップのファシリテーターや運営がボランティアにより担われていることだ。「自分の地域でワークショップを開催したい」と手を挙げた人たちが地域ごとにチームを作って運営するという形で、直近の2014年度は全90回のワークショップが39箇所の市区町村で開催された。

八田さんは「ワーキングマザーサロン」の第1期が始まるというタイミングでボランティア募集を知り、進行役として参加した。

「実はその当時、教員業界では『ファシリテーション』というのが熱い時期だったので、進行役になることでファシリテーションの方法について学びたいという欲もあって申し込んだんです」

また働きたいと考えていたタイミングで、八田さんはファシリテーションのノウハウだけでなく、ワークショップのテーマである「母となって働く」ということについて、自分の思いを深く見つめる機会を得たようだ。

「目黒で半年間進行役として関わって、自分がすごく掘り起こされました。
それまでは仕事と育児は同時進行できないと思っていたんですけど、『どちらもやりたい』という声をたくさん聞いて、私の考え方も『どっちもやっていいよね』という風に変わりました。それで、教員に復職を決めたんです」

一度辞めた仕事への復帰を後押しした「ワーキングマザーサロン」の存在は大きかったようで、八田さんは第二子妊娠中に第3期の進行役も務めている。また、今年からは事務局のスタッフとして各地の進行役をまとめる役割を担っているそうだ。

子育てと仕事、両方大事にするつもりだったが…

しかし、八田さんは大好きな教員の仕事を、復職後三年で退職することになる。体調を崩して休職を余儀なくされたことがきっかけだ。

「子育てと仕事と、両方大事にするつもりだったのに、気づいたら家庭はボロボロ、自分もボロボロになってしまっていたんです。このままの働き方で学校教育に邁進するのか、もうちょっと自分の人生全体を大事にするのか、休職は、そのことについてよく考えるきっかけになりましたね。
ちょうどその時、由美さん(後半で登場する野本由美子さん)がやっていた『ワーキングマザーサロン』の最後ギリギリぐらいに駆け込んで、もう、泣きながら話しをしました。それで結構決意が固まって、3月末に退職しました。最初は教員として復帰するつもりだったんですが、休職中に復職のイメージが描けなかったんです。体力的なことだけであれば、担任を外れるとかも考えたんですが、普段はそれでいいとしても、トラブルがあった時に力が注ぎ込めない。やる以上は全身全霊をかけたかったけれど、できないと…」

教員という仕事が好きだからこそ、子育てをしながらでは八田さんの理想とする働き方ができないという状況が悩ましく、辞めるという決断をせざるを得なかったようだ。

メールを見る習慣をつけるのが大変だった新しい職場

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八田さんがマドレボニータの事務局スタッフにならないか、という誘いを受けたのは、教員を辞めた頃だった。

「仕事を辞めてずっと家に閉じこもってしまうことになるのは怖かったので、とにかく外に出よう、という気持ちで事務局に入りました」

最初は週に3日、マドレボニータの書籍を販売しているネットショップの仕事をするようになった。体調を崩して退職したということもあり、時間的に余裕をもってできる仕事であったこともちょうどよかったのだ。

ただ、学校という職場とは全く違う環境の仕事は慣れないことも多く、最初は必死だったそう。

「本当に新入社員みたいな感じでしたよ。
学校ではメールを使わなかったので、まずはそこから…。最初は見落としが多くて、メールを見る習慣をつけるのが大変でした」

それぞれが別々の場所で働いているマドレボニータのスタッフ同士は、メールをものすごく活用している。

例えば、「朝メール」と「夕めーる」というルールがある。これは、普通の職場におけるタイムカード、同僚とのあいさつや雑談、予定の共有や業務報告に相当するもの。同じ場所にはいなくても、業務開始時と終了時にメールで送り合うことでお互いの様子や仕事について把握できるようになっているのだ。それ以外に、チームごとやテーマごとにメーリングリストを作成し、連絡事項は内容に応じてメーリングリストに投稿するというルールにより、情報が個人に閉じず、関係者みんなに共有されるようにしている。(参考:マドレボニータ事務局のメールの活用方法についてはこちらが詳しい→マドレ式テレワークの始め方【1.準備編】

こうなると、スタッフが1日に受け取るメールはかなりの数に上るだろう。仕事でメールを使う習慣のなかった八田さんのとまどいが目に見えるようだ。しかし今ではだいぶ慣れて、届いたものはひととおり目を通すが関係のないものは削除、というような処理のルールが確立されてきたそう。また、時にはそっけなく感じられてしまう文字だけのやり取りを柔らかくする「クッション語」の使用など、事務局の中では遠隔コミュニケーションのコツが蓄積されていて、そこから学ぶことも多いという。

「教員はそこにいることが仕事だったので、コミュニケーションの仕方は全く違いますが、仕事の共通点もあります。NPOの事務局は何でも屋っぽくて、ひとりがマルチタスクでいろんなことをやるのは、同じだな、と思います」

新しい仕事を通じて、教員時代に持っていた課題意識がさらに深まるという面もあった。

「教員をやっていて、子育てに悩んでいるお母さんに多く出会いました。中学校だったので、お母さんたちは10代の子どもについて悩んでいたわけですが、マドレの仕事をするようになって、問題の根っこは子どもが生まれて最初の1年くらいの、子どもと周りとの関係性にあるんじゃないかと感じるようになりました」

「教員じゃなくていいのか?」と聞かれて

八田さんの場合、他の人のように団体の理念に引かれて事務局のスタッフに入ったわけではなかった。だが、やっているうちに仕事がどんどんおもしろくなっていき、担当する業務も増えていったそうだ。

「マドレのネットストアは、こちらからお手紙を書いたり、それに返信のメッセージをいただいたりと、お客さんとのやり取りが結構あるんです。それがかなり新鮮で、やってみたら楽しくなってきて…。
それから新しい書籍の企画にも参加したり、今年からはワーキングマザーサロンの事務と、育休をとっているメンバーの代わりに広報も担当するようになりました」

事務局では、環境の変化やスタッフの増減がある度にみんなで相談し、業務の分担や仕事量を調整するのだそうだ。八田さんは体調も回復したことから、今年から週4日働くようになった。

新しい職場での仕事に充実感を感じられるようになった八田さんだったが、あるとき夫からは心配の言葉をかけられたという。

「夫は、私が他の仕事をしながら教員を目指していた時から応援してくれていたので、『教員じゃなくていいのか?』と聞かれたんです。体調を崩した後で、余裕をもってできそうだからということでマドレの仕事をするようになったのに、本当に自分のやりたいこととずれたことで忙しくなってしまったら意味ないんじゃないか、と」

そう言われた八田さんは、自分の気持ちの変化をご主人には伝えていなかったことに気づいた。そして、今の仕事が面白くなってきて、やりたくてやっているんだということを説明したところ、理解を得られたのだそう。

夫だけでなく周囲の人にも、自分が変わったことや、NPOでの働き方についてきちんと伝える必要があると、八田さんは感じている。

例えば、NPOで働いていることに対して「稼げていない」とか「忙しそうにしているけれどボランティアでしょう?」という風に見られてしまうこともある。しかし八田さんはボランティアではなくやりがいのある仕事として取り組んでいるし、収入に関しては、「かなり減ったけれど気にならない」という。

「夫婦ふたりで働けば暮らしていけます。大きな買い物もそんなにしないですし…。
教員の頃はもっと収入が多かったけれど、仕事に夢中で給料日に気づかないような状況でしたので、もともとそんなに多くはいらなかったんですよね…」

幸せに仕事ができるかどうかを決めるのは、収入の多寡だけではなく、その仕事が好きか、どんな人たちと一緒に働くか、仕事以外の生活とのバランスなど、様々な要素があるはずだ。今の職場は女性ばかりで生活スタイルの似ているメンバーが多いため、子どもが熱を出したりしたときもお互いの状況が理解しやすく、協力体制がとりやすい。八田さんにとって子育てとの両立という面でも、良い職場であるようだ。

組織に集まるありあまるエネルギーを整理したい

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マドレボニータでの仕事の幅を少しずつ広げてきた八田さん、今後やりたいことは?と尋ねると、「ありあまるエネルギーを整理整頓したい」という答えが返ってきた。

「マドレにはエネルギーや熱意がいっぱいの人がたくさん集まってくるんです。熱い気持ちをいっぱい持って来てくれる人の、その気持をちゃんと反映できるようにしたいんです」

北澤さんの話にもあったように、小さな組織でまだ制度やしくみが整っていないところがあるからこそ、「ここは自分が何とかしなきゃ!」ということが見えてくるのかもしれない。八田さんはその気持を「(何とかしたくて)うずうずする」と表現してくれた。

ありあまるエネルギーをうまく開花できるようにすれば、今よりもっとすごいことができそう、そんなワクワク感をもって仕事ができるのが、大きなビジョンをもって成長を続ける組織で働く醍醐味のひとつだと感じられた。

☆☆

NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(前編) マドレボニータ 北澤ちさとさん
NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(後編) マドレボニータ 野本由美子さん

 

関連情報
NPO法人マドレボニータ

☆☆

取材・文・撮影/やつづか えり

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