NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(前編) マドレボニータ 北澤ちさとさん
2014/12/27 更新:2018/11/30
ここのところ、行政や営利企業ではカバーしにくい社会課題の解決の担い手として、NPO法人の存在感が増している。それに伴い、何らかの形でNPOの活動に関わり、貢献しようという人も増えているようだ。
「My Desk and Team」でも、会社員をしながらプライベートな時間を使ってNPOの運営やサポートをする「パラレルキャリア」を実践する人たちの事例をいくつか紹介してきた(参考:パラレルキャリア関連記事)。彼らのように無償で支えてくれる存在は重要だが、NPOはボランティアだけで成り立っているわけではない。多くの場合は団体の運営業務に携わって報酬を得ているスタッフがいる。ネットで検索してみれば、求人を出しているNPOもたくさんあり、NPOを就転職先として考えている学生や転職希望者も、以前に比べると格段に増えているように感じる。だが、NPOで働くということがどういうことなのか、NPOではどういう人が働いているのか、具体的なイメージが描ける人は少ないのではないだろうか?
今回は、NPO法人マドレボニータの事務局スタッフとして働く三人の女性にインタビューした。三人とも、企業や学校などのNPO以外の仕事からキャリアが始まっている。そしてそれぞれの事情で退職後、子育てをしながら今後のキャリアについて模索し、セカンドキャリアとしてマドレボニータの事務局という職場にたどり着いたという共通点がある。どのような経緯でNPOのスタッフとして働くようになり、どのような日々を送っているのか、三人のストーリーを順にご紹介したい。そこから、働く場としてNPOと企業とはどのように違うのか、どういう人がNPOで働くことに向いているのかなど、NPOで働くことについて考える人へのヒントを示したい。
Profile
北澤 ちさと Kitazawa Chisato
NPO法人マドレボニータ 事務局長
1975年東京都八王子市生まれ。法政大学社会学部卒業後、自動車リース会社の営業職として6年3ヶ月勤務。その後退職し、第一子出産後にマドレボニータの産後プログラムを受講。理念と活動に共感し、会員として活動を応援。第二子妊娠中からの『産後白書』制作プロジェクト参画を経て2009年9月よりマドレボニータ事務局スタッフとなる。主に会員事業と2011年に新設した『マドレ基金』運営に携わる。2012年秋より事務局長に就任。2013年11月に夫のキャリアチェンジにより渡米し、現在ノースカロライナ州に在住。渡米後もクラウドツールを活用し、距離と時差を越えた働き方を模索中。家族は夫と子ども2人(9歳・6歳)。趣味は出産後に出会ったゴスペル等の音楽活動だが、現在は歌う機会を模索中。日本ファンドレイジング協会准認定ファンドレイザー。
アメリカ移住後も自然に仕事を続けられた理由
北澤ちさとさんは、マドレボニータの事務局長として全体の管理業務の他、会員事業、ファンドレイジングや、多胎の母・ひとり親などの受講料を補助する「産後ケアバトン制度」の運営業務を中心に担当している。
組織にとってなくてはならない存在であろう北澤さんだが、実は団体の所在地である東京にはいない。以前からアメリカで働きたいと希望していた夫のキャリアチェンジをきっかけに、約1年前に夫婦と9歳、6歳の子どもの一家4人で、東京からアメリカのノースカロライナ州に移住したのだ。
仕事を持っている女性が夫の仕事の都合で転居となると、そのために退職を余儀なくされることも多い。だが北澤さんは、アメリカに移住後もとても自然にマドレボニータの仕事を続けているようだ。というのも、マドレボニータにはもともと「事務所」というものがない。メンバーはそれぞれ自宅を仕事場にしていて、定例ミーティングなどには集まれるメンバーは集まるが、地方や国外にいるメンバーはSkypeで参加するという形をとっているのだ。そのため、例え国境を超えても、それほど大きく仕事の仕方を変えずに続けることができたというわけだ。
「アメリカに来ることになったとき、もちろん発送業務など『できなくなること』もありましたが、わりと自然な流れで、そのままいけるんじゃないかという気持ちがあったんです。
昨年の11月4日に日本を経って、その後20日頃のミーティングからちょっとずつ仕事に復活しました。
今は基本的に週4日、日中3〜6時間自宅で勤務し、その他に週に1回程度、夜Skypeでミーティングに参加しています。
週4日と決めたのは今年の夏くらいです。生活のリズムを整えたいと思い、基本的に水曜日をお休みにしています」
時差があるためにミーティングは夜になってしまうが、週に1回程度、夜に仕事をするということに、北澤さんの家族も協力してくれているという。また、日中仕事をするときは日本は夜中で、メールが届いたりすることもないため集中できる。Webの更新やものを書いたりすることなどがはかどって、時差があることの利点を感じるのだそうだ。
もうひとつ、アメリカで仕事を続けることを自然に受け入れられた理由として、北澤さんはマドレボニータの活動の広がりを挙げる。
「震災の後ぐらいに代表の吉岡がシアトルに研修に行く機会を得て海外の団体と交流ができたり、私たちが出版している『産後白書』の英語版を出したりと、団体が世界に目を向けるようにもなってきていたんです。そのため、スタッフのひとりが海外に行くということも、そんなに違和感なく受け入れてもらえたのだと思います」
このタイミングで事務局長が海外に拠点を移すというのは、組織にとってもむしろ可能性を広げるチャンスだったのかもしれない。スタッフの居住地を問わない柔軟な働き方は、そのようなチャンスを逃さないため、そして力のあるスタッフに働き続けてもらうためにとても有効だということが分かるエピソードだ。
再就職を考えるきっかけになった「産後クラス」
ここで北澤さんのエピソードから少し離れ、マドレボニータの活動内容を紹介したい。
あなたは、「産後ケア」という言葉をご存知だろうか?
最近出産を経験した、あるいはそういう人が身近にいるという場合は、聞いたことがあるかもしれない。出産後の女性の心身の回復をはかるためのサポートや手当てのことで、最近では自治体として産後ケア事業に取り組むところも出てくるなど、その重要性が認識され始めている。しかし以前は、生まれた赤ちゃんのための制度は様々に整備される一方で、母親のヘルスケアや精神的な支えの必要性は認識されていなかった。
そんな中でマドレボニータは、15年以上も前から産後の母親達を支えてきた。中心的活動である「産後のボディケア&フィットネス教室」の他に、『産後白書』、『産褥記』といった書籍や講演などで産後女性の実態やケアのノウハウを伝えるなど、様々な活動をしている。昨今の「産後ケア」への関心の高まりに大きく寄与していると言って良いだろう。
北澤さんも、後に紹介する八田さん、野本さんも、みんな妊娠と出産を機に、団体が提供するサービスの受け手としてマドレボニータに出会っている。
北澤さんは、「産後のボディケア&フィットネス教室」(産後クラス)に通ったのが最初の出会い。結婚をきっかけに会社を辞めて専業主婦だった北澤さんは、教室で自身の仕事についても考えるきっかけを得たのだそう。
「結婚した当時、夫婦のどちらかが仕事に、もう片方は家庭に注力した方がいいというのが夫の考え方で、私も『しばらく家庭中心に過ごすのもいいかな』と思って退職したんです。でもその後子どもができて産後クラスに通ったときに、ずっと子育てだけというのは違うかも、という気持ちが芽生えてきました」
産後クラスでは、有酸素運動のエクササイズをし、身体のケアの方法を学ぶ他に、「シェアリング」と言って他の参加者と互いに思いをわかちあうというワークをする。それが、慣れない育児に疲れた心を癒やしたり、母親であると同時にひとりの人間として活き活きと暮らしていくために必要なことに気づいたり、他ではなかなか得られない効果をもたらすものとして、多くの参加者たちに支持されているようだ。
北澤さんも、産後クラスで「5年後の私」について話すというワークをすることで、何か打ち込めるものを見つけたい、社会に出て役立ちたい、という自分の思いに気づいた。そしてそこから少しずつ、キャリアを模索し始めたという。
「最初は、一気に再就職とまでは踏みきれませんでした。ただ、マドレの教室がきっかけで、それまでは全然知らなかったNPOや子育て支援の活動と言うものの存在を知って、こういうことなら自分もできるのではと思い、地元の子育て支援団体がやっていた『市民向けブログ講座』の講師のアシスタントを始めました。一応有給スタッフですが、何ヶ月かに1回というレベルです。
そうやってちょっとずつ社会復帰をし始めたのですが、二人目を妊娠したとき、周りのママ友はみんな働き始めていたということもあり、下の子が1歳半くらいになるまでにはもっと本格的に働いていたいという気持ちが強くなりました。それで、派遣会社に登録したり、妊娠安定期には短期の仕事を探して面接に行ったりしました。でも、短期で妊娠中という条件ではなかなか採用されません。派遣会社から仕事の紹介もあったのですが、都心でフルタイムだと怖気づいてしまって…」
もう一歩踏み出したいと思いつつも、なかなか進み出せず悶々としていた北澤さんだったが、次の一歩のきっかけを再びマドレボニータから得た。
北澤さんは、産後クラスに通った後、マドレボニータの「正会員」になった。「正会員」というのは、年会費を支払ってマドレボニータの活動を応援し、会報などを通じて団体の最新情報を知ることができる他、NPOの総会での議決権をもって組織に関われるという制度だ。当時の北澤さんにとって、産後クラスで出会ったインストラクターやスタッフはとてもキラキラして見え、大いに刺激を受けた。その後も引き続きかかわり合いを持つことで自分も変化していきたいという思いからの入会だったそう。そして、そうやってつながりを保っていたことにより、次のチャンスがやってきた。
「(働き口がみつからず)このまま出産かと思っていた時に、マドレで『産後白書』制作のプロジェクトが立ち上がり、ボランティアを募集していることを知ったので、そこに参加したんです」
教室の生徒、正会員という立場を経て、ボランティアスタッフになることで、北澤さんのマドレボニータへの関わり方は一歩踏み込んだものになったのだった。
行動を続けるうちに、パートナーの考え方にも変化が
妊娠中から『産後白書』制作プロジェクトにボランティアで関わり始めた北澤さんは、少ないスタッフで組織を運営しているのをみて、できればこういうところで働きたいと考えるようになったという。そして次の年、北澤さんは事務局のスタッフとして働かないかという誘いを受けた。
北澤さんにとっては願ったり叶ったりという状況だが、もともと妻には家にいて欲しいと考えていた夫にとってはどうだったのだろうか?
「マドレの教室に行ってから、夫には、自分が思っていることやしてみたいと思っていることを以前よりも言葉にして伝えるようになったんです。その上でちょっとずつ色々なことをし始めたので、(事務局のスタッフになるというときも)そんなにびっくりする感じではなかったですね第二子を妊娠中に、就職活動のために上の子を保育園に入れました。当初、夫は保育園というものについて、求職中でも通えるのか、どのくらいお金がかかるのか、ぴんときていなかったんです。だから保育園の見学に行ったり、かかるお金をExcel表にして見せたりして…。それで本気だと思ってもらえたと思います。
それから、上の子が生まれた直後に夫がアメリカで働きたいと言い始めまして、『下見に行ってくる』とひとりで向こうに行っちゃったりしたこともあったんですが、実際に見てくることで、将来的にアメリカで暮らすのなら共働きが良いのではないかと感じたそうです。また、勤めていた外資系の会社でも仕事と子育てを両立している女性社員の方が多くいて、女性が働くことに対する視野が広がったようです」
自身の思いを実現するために行動し始めた北澤さんの姿、そして夫自身の環境の変化が、パートナーが働くことについての考え方に自然に変化をもたらしたようだ。
ミッションに対しても組織に対しても大きなやりがいを感じられる職場
結婚前は営業として企業でバリバリ働いていた北澤さん。その当時の経験と、マドレボニータでの働き方にはかなり違いを感じているようだ。
ひとつは、自分自身のモチベーションについて。
「当時の会社の仕事も、お客様に業務を快適にしてもらうという意味でやりがいは感じていました。でも、今の仕事は、自分が経験し、人生に大きな変化をもたらしたプログラムをみんなに体験してもらいたいと強く思えるので、すごくモチベーションが高まるんです」
北澤さん自身の人生が変わるきっかけになった「産後プログラム」、これをより多くの人に伝えていくことで社会を変えていくという、仕事の意義や社会的影響力の大きさにワクワクしている感じが伝わってくる。
また、組織の成り立ちや大きさの違いから、ひとりひとりの役割も、以前の会社とはかなり違うという。
「以前の会社は、社内の仕組みがしっかりしていて、研修も充実していました。組織があって自分はその中のひとりという感じ。
今は、制度や仕組みが整っていない部分はたくさんあります。だからそれを作っていくという部分まで自分たちでやっていかなければいけなくて、それは大変だけど面白いです。スタッフひとりひとりが意見を出してみんなですすめていけるのがいいところですね」
逆に、制度や仕組みが整っているものとして「どうしたらいいですか?」と答えを求めてしまうような人だと、このような小さな組織でやっていくのは難しいだろう。北澤さんも、スタッフには「自分が団体の成長を担っていくという気持ち」が大事だと言う。
マドレボニータの場合、スタッフが女性ばかりなのも、一般的な会社とは異なる点だろう。
「会社で働いていた時は、部に10人営業職がいてそのうちの2,3人が女性。その他に5人事務職の女性がいました。営業職の私は、事務職の人とは全然違う世界で男性に混じって働いている、という感じでしたね。
今は、女性同士ということもあるし、みんなが遠隔で働いているから、お互いのことを理解するということをとても大事にしています。仕事の後に飲みに行くことも難しいし、オフィスで雑談することもできないですから。
それで、事務局では2ヶ月に1回、仕事ではなくメンバーひとりひとりにフォーカスを当てた会議をしています。例えば、ワークとライフ両方についてのビジョンを紙に書いてお互いにシェアしあう、というようなワークショップを通じて、それぞれが考えていることとかバックグラウンドを理解し合うようにしているんです」
マドレボニータの場合、仕事以外のコミュニケーションが取りにくい状況であるからこそ、意識的にメンバーのパーソナルな部分を知り合う機会を設けているのだ。これは在宅勤務などを取り入れて遠隔で働くメンバーがいる職場はもちろん、オフィスで一緒に働いている「普通の会社」においても、業務に追われて互いのことをよく理解できていないという場合には、有効な方法ではないだろうか。
アメリカでも必要とされている産前産後のケア
北澤さんに今後やってみたいことを聞いてみたところ、「せっかくアメリカに来たので、こちらのNPOの事例などを学びたい」という答えが返ってきた。そのためにまずは英語をある程度話せるようになることが目標で、コミュニティカレッジなどで英語のクラスを取りながら、社会学や社会起業に関することも学んでいけたら、と考えているそうだ。
また、アメリカに暮らす日本人の産前産後のケアという活動も取り組んでいきたいと考えていて、今は地元の日本人やアメリカ人と、アメリカでの出産事情について情報交換をしているところだという。通院時の通訳なども非常に必要とされているそうで、英語が上達すればそういう面でも直接サポートができるかもしれない。また、日本とアメリカのそれぞれの良い制度や習慣をシェアするようなことができれば、マドレボニータの活動も一層幅が広がるだろう。
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NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(中編) マドレボニータ 八田吏さん
NPOでセカンドキャリアを歩むという選択(後編) マドレボニータ 野本由美子さん
関連情報
NPO法人マドレボニータ
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取材・文/やつづか えり

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