徳島県名西郡神山町は、徳島市内から車で4、50分の山間部にある人口6千人ほどの町だ。私たちが訪れたのは8月中旬。黄金色に実った稲の穂が揺れ、それを青々とした山が取り囲む。眼の前にひろがるのは正に日本の田舎らしいのどかな風景だった。

神山町の風景。
しかし、神山町には他の田舎とは大きく異る部分がある。近年若い世代の移住者が増えており、また、田舎の雰囲気とは一見相容れないようなITベンチャーやデザイン、映像制作などのクリエイティブ系の企業が次々とオフィスを開設しているのだ。その数は2014年8月現在11社に上り、まだまだ増える見込みだという。
そんなわけで神山町は、高齢化・過疎化に悩む地域の活性化の例として、あるいは新しい働き方、暮らし方にチャレンジする人たちを引きつける場所として、大きな注目を集めている。その動きは国からも認められ、昨年は町が文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)、町づくりの中心的担い手であるNPO法人グリーンバレーが総務大臣賞(過疎地域自立活性化優良事例)を受けている。
今回は、昨年7月に「えんがわオフィス」というユニークなサテライトオフィス(本拠地から離れた場所に設置されたオフィス)を開設した株式会社プラットイーズの隅田徹(スミダ テツ)代表取締役会長に、その経緯と効果、今後の展望などについて伺った。
Profile
隅田 徹 Sumita Tetsu
1962年2月生まれ 大阪府出身
1987年株式会社日本ケーブルテレビジョン/JCTVにおいてCNNニュースの日本における配信事業に従事
2001年株式会社プラットイーズ(本社:東京都渋谷区)設立 代表取締役社長
メタデータ(番組詳細情報)の編集・配信、映像アーカイブス事業を開始
2011年株式会社プラットイーズ 取締役会長(現職)
2013年株式会社えんがわ(本社:徳島県神山町)設立 代表取締役社長(現職)
4K8K映像のアーカイブス事業を開始
2014年株式会社神山神領(本社:徳島県神山町)設立 代表取締役社長(現職)
サテライトオフィス体験ができる滞在型宿泊施設を開設
都会にはない、田舎らしさあふれるローカルオフィスを
株式会社プラットイーズが、東京・恵比寿の本社以外の拠点を作ろうと検討を始めたのは、今から10年ほど前、世間でBCP(Business continuity planning 事業継続計画)という言葉が流行り始めた頃だった。
プラットイーズはテレビの番組情報の運用・配信など、放送局やケーブルテレビ局に対するサービスを手がけている。もし、東京で直下型地震が発生するなどしてこれらの業務が止まってしまうと、テレビ番組の放送が滞ってしまう。そのようなことにならないよう、緊急時に東京以外で仕事を継続できる場所を作ろうというのが、新拠点開設に動き出したきっかけだった。
しかし、隅田さんは「ただのバックアップセンターでは面白くない」と考えた。
そのときに思い浮かんだのが、欧米の映像関連の会社の、地方のオフィスを活用した働き方だった。たとえばフランスのある会社はパリの本社の他に南仏にオフィスがあり、夏には普段パリで働いている社員が南仏に行き、バカンスを楽しみながら仕事もする。そんな働き方をしているフランスの会社の方が、日本に比べて一人あたりの生産性が高いのだという。
その生産性の違いはいったいどこから来るのか? そう考えた隅田さんは、もうひとつのオフィスを社員に刺激を与えるような、面白い「ローカルオフィス」にしようと決めた。
「どうせ作るなら、大阪なんかの都市部に常駐者だけを置くのではなく、もっと田舎のオフィスにして、そこと東京をみんなが行ったり来たりしたら楽しいんじゃないかと思ったのです。
東京のオフィスは社員がデザインしていまして、割とポップでおしゃれなオフィスです。それとは対極の、めちゃくちゃ田舎っぽいオフィスを作ろうと考えました」
えんがわオフィスは、元は築80年ほどの民家だったという。改修されたオフィスは内外が黒で統一され、周囲をぐるりと取り囲む広い縁側や大きなガラス窓がモダンな印象だが、古民家の雰囲気も色濃く残っている。窓の外に見える景色も含め、東京ではあり得ないオフィス環境だ。
隅田さんは最初からこのようなオフィスを作ることをイメージし、それが実現できる土地を探し歩いた。そしてめぐりあったのが神山だったのだ。

表通りから見た「えんがわオフィス」
高度な仕事こそ、田舎で生産性が高まる
新拠点を置く場所を神山に定めてからオフィスをオープンするまでの間、まずは隅田さんが東京と神山を行ったり来たりする「2拠点ワーク」の実験を始めた。そして、その効果を大いに実感したのだという。
「仕事環境が変わることがとても良い刺激になるのです。それまではずっと同じのオフィスで働くことを普通だと思っていたけれど、逆に『なぜ今まで一箇所で働いていたのか』と思うくらい、生産性が上がりました」
いつもとは違う場所で働くこと、特に普段は都会にいる人が神山町のような田舎に来るということが、仕事の生産性向上にとても効果があるのだそうだ。
ただし、どんな仕事でも田舎の方が生産性が上がるかというと、そうではない。
「マネジメントワークやクリエイティブワークなどの高度な仕事のほうが、田舎で生産性が高まるんです。
逆にルーチンワークは、恵比寿の本社で100やれていたことが90とか95とかになっちゃう。これはうちだけでなく、神山に来ている他の会社の人達に聞いても、そう感じているって言いますよ」
工場や配送センターなど、ルーチンワークを担う部門を地方に置いている企業が多いことを考えると、このことは意外に感じる。隅田さんによれば、これらの仕事は本当は都会でやった方が能率が上がる。しかし、土地代や人件費との兼ね合いで地方に置いているのだろう、というのだ。豊かな自然に囲まれ、ゆったりとした時間の流れの中に身を置くと、心が開放されて思考もクリアになる。それが「考えること」や「創造すること」には好影響を及ぼすが、「決められた作業を繰り返すこと」には向かないのかもしれない。
隅田さんが2拠点ワークの効果を実感したことから、オフィス開設後は東京のプラットイーズの社員がたびたびえんがわオフィスを訪れるようになった。色々実験してみた結果、今は1週間単位で滞在することが多く、その際は、えんがわオフィスの2階の大広間に宿泊するのだという。同じプロジェクトのメンバー達が解決すべきテーマをもってやってきて、集中して検討する「合宿形式」を取ることも多い。あらかじめ滞在期間が決まっているため、その間に決めなければいけないという「締め切り効果」で結論が出やすいのだそうだ。
ちなみに、普段神山町の方を本拠地としている社員は、東京のオフィスに行くことで2拠点ワークを実現している。こちらは2週間から1ヶ月、ウィークリーマンションに滞在するのだそうだ。

2階に、合宿形式での話し合いや飲み会、宿泊にも使える広い和室がある。
神山町が「ローカルオフィス」に適していた理由
隅田さんが「田舎に『ローカルオフィス』を作ろう」と決めて候補地を探し始めたのは2006年頃からだった。だが、地方でベンチャー企業を誘致している場所をくまなく回ったものの、どこも決め手に欠け、なかなか決まらなかったという。
隅田さんが神山町に出会ったのは2011年になってから。3月に大震災が発生し、ますますバックアップとしての地方拠点の必要性が高まる中、候補地を3つくらいに絞って検討していた段階でのことだった。ある日、知人から「神山町が面白そうだからちょっと行って来い」と電話がかかってきたのだそうだ。
すぐに神山町を訪れた隅田さんは、こここそ思い描いていたローカルオフィスを作るのにふさわしい土地だと、直感的に感じたようだ。
「神山に来て(NPO法人グリーンバレー理事長の)大南さんと彼が紹介してくれた人たちに会ったのですが、みんな、今まで(他の候補地で)会ってきた人たちとまったく違う雰囲気とキャラクターなんですね。神山独特の人となりや人間関係に惚れ込んでしまって、2回来てすぐに神山にオフィスを作ることを決めたのです」
神山町がローカルオフィスに適していた重要なポイントとして、隅田さんは地元の人達の雰囲気を挙げる。
「日本のクリエイティブカンパニーはアジアではダントツの存在です。それは、豊かな時代の中で遊び心をもってセンスの良いアウトプットを出してきたからなんです。
自由な遊び心というのはとても重要で、田舎のオフィスで働くことでそれが失われてしまうことを危惧していました。田舎の真面目で自由度のない雰囲気にのまれて、心が狭く、寛容でなくなってしまうのは最悪なことだと思います。
経営の役割は環境を整えることなので、そこが一番大事だと考えていました。
その点、神山は田舎なんだけど、人が都会的、文化的で、自由を愛でる空気があるのが良いのです」
神山町に企業がオフィスを作るようになったのは2010年以降のことだが、実はそれ以前から、神山町は独自の町づくりを進めてきていた。その代表例に、ALT(Assistant Language Teacher 小中高校の外国語指導助手)の研修生を受け入れて町民の自宅に宿泊させる国際交流事業、国内外の芸術家を招いて滞在中に作品を制作してもらう「KAIR(神山アーティスト・イン・レジデンス)」という事業がある。どちらもNPO法人グリーンバレーの前身である組織が1990年代に始めたものだ(ALTの受け入れは2007年まで、KAIRは現在も継続中)。自治体のお仕着せなどではなく、町の将来を思う町民が中心となり、コストをかけず自分たちにこそできることをやってきているのが特徴だ。
2004年に設立されたNPO法人グリーンバレーは神山町への移住支援を手がけるようになり、やがてそれが手に職を持った人を神山に呼び込もうという「ワーク・イン・レジデンス」という活動につながる。企業のオフィス誘致は、その延長線上に生まれてきた動きなのだ。
隅田さんの言う、神山町の人たちの都会的、文化的で寛容な性格というのは、外国人や芸術家といった自分たちとはちょっと異なる人達を受け入れてきたことや、町が少しずつ変化していく様を体験してきたことによって育まれてきたのだと思われる。
どちらかというと都会思考で、えんがわオフィスにそれほど興味がなさそうであったプラットイーズの社員たちも、神山に来てみて、その環境や地元の人達のオープンさにすぐにファンになってしまったそうだ。
この他にローカルオフィスの立地条件として、隅田さんは空港からの距離を挙げる。空港から1時間という距離が最適なのだそうだ。2時間かかるといざというときに2拠点間の移動ができない。かといって空港の目の前では、「わざわざ移動した」感がなさすぎる。空港を出て車に乗って街を抜け、田舎の風景が見えてくる…、というプロセスが、気持ちを切り替えるのに効果的なのだという。
多くの会社が制度として「2拠点ワーク」を取り入れる時代に
隅田さんは今、「2拠点ワーク」という働き方を他の会社にも広めようとしている。
「業種に関係なく、ヘッドクォーター的な価値の高い人材を1箇所に閉じ込めておくのはもったいない。2拠点ワークを、騙されたと思ってみんなやってみるべきだと思いますね。
それを個人に言っても限界があるので、会社の制度として2拠点ワークやビジネス合宿ができるよう、企業を説得しているところです」
隅田さんは誰もが名を知る大企業の経営陣にも声をかけ、えんがわオフィスの2階で合宿を体験してもらったりもしているそう。そして今年6月には新たな会社を設立し、神山町の視察や合宿などに利用できる宿泊施設を来年3月の開業をめざして準備中だ。
社員が日常的に2拠点ワーク行うことを多くの企業が制度として認める状態に、というのが隅田さんのビジョン。それが実現できたら、今度は社員が家族や恋人を連れて来ることも認められるようにしたいという。その足がかりとして、徳島県の海沿いにある阿南市では、親子で宿泊・参加できる仕事と学びのワークショップの企画も進めているそうだ。
確かに、環境の変化に刺激され、心が開放されることでそれほど生産性が上がるのであれば、家族や恋人の存在を感じながら仕事をすることもプラスの効果を与えるかもしれない。何より、子どもを置いて2拠点ワークをしづらいという社員にはうれしいことだろう。
企業は業績が上がり、社員は満足度がアップ、地元は人が来て喜ぶ。都会と田舎での2拠点ワークは三方一両得だと語る隅田さん。それが当たり前の働き方になり、神山町以外の地方にも広がっていくような未来が、近いうちにやってくることを期待したい。
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取材・文/やつづか えり 撮影/八塚 裕太郎

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