株式会社あわえは、「「地元での就職は無理」「過疎地で営業はできない」そんな常識が変わるとき」で紹介したサイファー・テックの吉田基晴(ヨシダ モトハル)代表が、昨年設立した会社だ。美波町を起点に、高齢化・過疎化に直面する地域の課題をビジネスの力で解決していくことを目指している。
例えば、「HISTORY PHOTOSTOCK GOEN」。これは、空き家になった古民家に大量に残されている写真に着目した事業だ。
放っておいたらやがては喪失してしまう写真は、実は貴重な歴史資料だ。あわえは、これを収集してデジタル化し、保管する。その際に地域の住民を集めて写真の整理・分類などを手伝ってもらうことで、過去の記憶の伝承や住民同士のコミュニケーションの機会を生み出す。そうやって整理された写真データはみんなの財産として共有し、観光案内アプリと連動させるなどといった形で利活用する。このようにして、置き去りにされた写真の山が、新たな機会や価値を生み出す資産になるのだ。
その他にも、移住支援やオフィス誘致、地域産品のブランディングといった事業で、地域の外から人やお金、雇用を呼びこみ、地域の活性化を担っていくという。

あわえのオフィスは、元は銭湯だった築100年以上の建物。今年8月に、オフィスへの改修が完了したばかりだ。

入り口の番台や脱衣所の物入れなど、銭湯時代の名残がそのまま残されている。

脱衣所だったスペースは、地域住民の交流の場として解放する。古い写真にまつわる情報交換も、ここに昔を知る人達に集まってもらい、大きなスクリーンに写真を映しだして行う予定だ。
Profile
吉田 基晴 Yoshida Motoharu
1971年11月生まれ、徳島県海部郡美波町出身。株式会社ジャストシステムなどを経て、2003年にデジタルコンテンツや機密情報を保護する各種セキュリティ製品を開発・販売するサイファー・テック株式会社の設立に参画し、2005年から代表取締役(現任)を務める。
また2012年には美波町にサテライトオフィス「美波Lab」を設立して、仕事とプライベートの両方を大切にする生き方として「半×半IT」を提唱するとともに、2013年には地域課題の解決を図る地域活性事業会社・株式会社あわえを設立。現在都会と地方の両方を拠点に、東京と徳島を往復する生活を送りながら、地域活性に取り組んでいる。
地域内外から人材が集結
吉田代表があわえを設立した理由のひとつは、サイファー・テックの「美波Lab」設立をきっかけに地域活動に積極的に参加するうちに、ビジネスチャンスに気づいたことだ。美波町のような課題を持つ地域は、日本はもとより、今後は海外にも増えていく。今ここにある社会課題を解決するモデルができれば、他の場所でも必ずニーズがあるはず、というわけだ。
また、地方の町が減退してしまえば、やがては都会に出て行く人も減り、日本全体が衰退してしまう。地方を元気にすることで、自分の子どもたちの世代が生きやすい世の中を残してやりたいという思いを抱くようになったことも、新会社設立の原動力となった。
吉田代表のこの思いが共感を呼んだのか、あわえは設立1年ほどですでに9人の社員がいる。東京と美波町の2拠点で働く人もいれば、Uターン、Iターンという形で美波町に移住した人もいて、入社に至るまでのキャリアや持っているスキルも様々だそう。
スタートしたばかりの会社、しかも過疎の町で働くことを選択したのはいったいどんな人なのか、今回は設立当初からの社員である山下拓未(ヤマシタ タクミ)さんにお話を伺った。
Profile
山下 拓未 Yamashita Takumi
1978年3月生まれ、神奈川県秦野市出身。20歳の時に一念発起し独学でデザイナーの道を目指し、25歳まではデザイン事務所・広告代理店・印刷会社などでグラフィックデザインを学ぶ。
その後Web デザイン・システム開発を行う会社へ就職し、Web デザインを担当する傍ら企画・広報業務を行う。また同社在職中にCSR部門やNPO法人の立ち上げに参画するとともに、その経験を活かして徳島県へサテライトオフィスプロジェクトを提案し、徳島県神山町にて責任者として実証実験を行う。
これら活動を通じて日本の「田舎」が抱えるさまざまな地域課題を目の当たりにし、地域課題を抽出・解決する取り組みの必要性を実感して、徳島県美波町への移住を決意。現在あわえの事業責任者として地域課題の解決に取り組んでいる。
目の前にいる人たちが喜んでくれる仕事を求めて
あわえの全事業の責任者として管理、営業、企画などを担当している山下さんは、昨年7月に美波町に移住し、あわえに設立当初から参画している。それ以前は、東京に本社がある株式会社ダンクソフトの社員として、同じ徳島県内の神山町でサテライトオフィスのプロジェクトに取り組んでいた。吉田代表とは、双方が参加していた「とくしまサテライトオフィス・プロモーション会議」で知り合い、フライフィッシングという共通の趣味があったことから親しくなったのだそうだ。
神山町にやって来る前の山下さんは、平塚に住み、当時伊豆にあったサテライトオフィスに勤務していた。そこではデザインの仕事をする傍ら、会社の出資を受けてNPOを設立し、釣りやカヤックの体験を通して自然の大切さを教える活動を手がけていた。
その頃から、地方で働くこと、そしてその地域に貢献することが山下さんにとって重要なテーマとなり、今の仕事につながっているようだ。伊豆では4年ほど仕事をしていたが、地元の人達の信頼を得るのにはなかなか時間がかかり、苦労したと、少し悔しそうに話してくれた。
2011年の震災をきっかけにNPOは解散し、伊豆のサテライトオフィスも引き上げた。しかしほどなくして、伊豆の取り組みで知り合いになった徳島県出身の人からの紹介で、今度は神山町でサテライトオフィスの実証実験をすることになる。
ダンクソフトは、サテライトオフィス勤務や在宅勤務などの遠隔地でも仕事ができるようにするためのシステムを、お客さんに提案している。神山町のサテライトオフィスは、それを自社の社員が実践してみせる場という意味が大きかった。山下さんはその役割を担いながら、会社のCSR的な活動として、地元の人達のための活動をしようとしていた。しかし、やがてそれだけでは飽きたらなくなる。
今度は地元の人達からの信頼を早く得られるようにと、頻繁に神山町と首都圏を行き来していた山下さんは、次第に住民の様々なニーズが分かるようになった。でも、そのニーズを満たすことがなかなかできなかったのだという。
「例えばちょっとしたチラシを作りたいとか、僕らに頼んでもらえればカッコイイのができるのに、なかなか頼んでもらえないんですよ」
それは地元の人たちとの関係が良くなかったということではなく、本業が別にある山下さんたちに対して、善意を当てにして頼み事をするのが難しかったのではないか、ということだ。
目の前にいる人達を助けられるはずなのに、それができない。そのことにジレンマを感じた山下さんは、地元の人達に直接喜んでもらえることを本業にしたいと考えるようになった。そして、そんな思いを吉田代表に話した時に、「やってみるか」とあわえの立ち上げに誘われたそうだ。
地元のおっちゃんから釣りや飲みに誘われる毎日
山下さんの1日は、朝、隣近所のおじさんたちの話し声で目を覚ますところから始まる。
「すぐ隣りの家の物置小屋で、おっちゃんたちが集まってコーヒーを飲みながらしゃべっているんです。その声を聞いて、『じゃあ行こうかな』と僕も加わりに行く。そんな朝の過ごし方が好きです」
その後、車で仕事に出かける途中でも、地元の知り合いとすれ違えば車を停めて「こんな魚獲れたよ」といったおしゃべりをするそうだ。
仕事は企画書の作成、新規事業の運営、行政の担当者との打ち合わせ、視察や取材の対応など、多岐にわたる。その合間にも、住民との交流は欠かさない。
「新しいオフィスのある地域では僕らは新参者で、まだ自己紹介の期間なんですよ。時間があると縁側の前でコーヒーを飲んだりタバコを吸ったりしながら張りこんで、おばあちゃんが通ったら話しかけたりしています。
5時、6時くらいになったら、地元のおっちゃんから釣りや飲みの誘いの電話がかかってくるか、そうでなければ帰る途中に漁師小屋があるので、そこに顔を出して話をしていきます」
約1年前に移住したばかりとは思えないほど、地域に溶け込んでいる山下さんだが、どのようにして地元の人達との付き合いを深めていったのだろうか?
「今住んでいる地区では移住してくる人なんてほとんどいなくて、自分が20年ぶりくらいなんじゃないかな…。なので『珍しい奴が来たぞ』ということで注目はされていましたが、最初は挨拶しても返事してもらえなかったり…、7月に移住したばかりのときはそんな感じでした。
その後10月にお祭があって、僕はめちゃくちゃお祭りが好きなんで、お祭りのシンボル的な『ちょうさ』という太鼓屋台の御神輿を思い切り担いでやれと思って担いでいたら、『目立ち過ぎだ』って怒る人と、『面白い』って言う人と両方いて(笑)。それから飲みに誘ってもらえるようになりましたね」
お祭りで飾らない姿をさらけ出したことで、一気に距離を縮めることができたようだ。
また、釣りやサーフィンなど、山下さんの好きなことがその土地の人達と共通していることが大きかったそうだ。
「価値観が一緒だと思ってくれたのが良かったんだと思います。
都会では、どんな仕事をしていて、どのくらい仕事ができるかということで評価されたりしますが、田舎では、地元の人が好きなものを自分も愛してますと、同じ目線で語れることが、生きていく上で非常に重要なことなんです」
山下さんの話を聞いていると、地域活性に関わる仕事はその地域を愛する心なしにはとても難しいだろうと思わされる。特に地縁があったわけではない山下さんが、好きなものがたくさんある美波町に辿り着いたのは、良いめぐり合わせだったのだろう。

釣りを楽しむ山下さん。
人が好きであることが重要な仕事
あわえの仕事にはどんな人材が向いているのか、吉田代表に訪ねてみると、次のような答えが返ってきた。
「田舎はとにかく忙しいです。まあ、のんびりしようと思えばできるのですが、やることはいろいろあるので、仕事だけでなくいろんな役目を果たして生きてほしいですね。それが本当の意味での地域活動です。
そしてたくさん遊んでもほしいです。地元のおっちゃんたちはすごく遊び人なのでね。
精神的なタフさと健康は第一条件。
そして、人が好きかどうかが大事です。おじいちゃん、おばあちゃん、子どもたちと向き合うことができるか、ということですよね」
地域に根ざした仕事をしていこうと思ったら、生活の場面でも仕事の場面でも、常にその地域の人々と関わりあっていくことが求められる。無理をしていては続かないだろう。
人づきあいを苦にせず、相手に興味をもって接することができるという点で、山下さんはこの仕事にとても向いているのだろうな、と感じた。
自分が変化していくことが面白い

オフィスのコワーキングスペースにて。腰掛けているベンチは、銭湯の浴槽をそのまま活かして作られている。
山下さんに、今の仕事の醍醐味を聞いてみた。転身のきっかけは、目の前にいる人に喜んでもらえる仕事をしたいという思いだったわけだが、やはりそこに面白さを感じているのだろうか?
「最初はそう思っていたのですが、今は『自分が変化していくこと』が面白くて…。こういうところで働いていると、それまでの自分の価値観が一瞬で崩壊したりすることがしょっちゅうです。そうやってどんどん成長させてもらっている。こういう経験は都会ではできません」
自分の価値観を覆されてもそれを面白いと思える。それは、吉田代表が挙げた「精神的なタフさ」がなければ難しいだろう。だから誰にでも薦められるものではないが、今は都会に暮らしている人が、もし魅力ある地域に出会い、もっと自分を成長させたいと思うならば、思い切ってその土地に飛び込んでみるのもよいのではないだろうか。
山下さんに、そんな人へのアドバイスをお願いした。
「自分の幸せに貪欲になってほしいです。
それと同時に、周りの人のことも考えること。
自分の幸せを追求すると、人を不幸にすることがあります。そのときに、(人の不幸を解決できるかどうかで)社会人としての価値が問われます。自分の能力を発揮してうまく価値を生み出せば収入が得られて、そのお金が問題を解決する道具になりますから」
山下さんが移住を決意したとき、当初は奥さんの賛成を得るのが難しかったのだそうだ。自分の希望を叶えつつ、都会とのつながりも失いたくないという奥さんを不幸にしないために山下さんがとった解決策は、田舎に住みながらも奥さんには好きなときに好きな場所に出かけてもらえるよう、経済力や移動手段を得るということだった。現在奥さんは、時々東京に遊びに行ったりもしつつ、地元の女性のコミュニティに入って田舎での生活も楽しみ始めたそうだ。
仕事は、自分が幸せを追求しながら周りの人も幸せにするための手段である。今何かに迷っている人は、この考え方をベースに働き方と暮らし方を見なおしてみると、次に進むべき道が見えてくるかもしれない。
☆☆
関連記事
☆☆
取材・文/やつづか えり 撮影/八塚 裕太郎(釣りの写真は山下さんの提供)

FOLLOW US
おすすめの本
BOOKS