徳島県の南東の海岸沿いに、美波町という小さな町がある。ウミガメが産卵に来る美しい砂浜があり、2009年に放送されたNHKの朝の連続ドラマ『ウェルかめ』の舞台になった町としてご存じの方もいるかもしれない。
サーフィンやシーカヤックなどのマリンスポーツ好きにも魅力的な町だが、徳島の空港から車で約1時間と、便利な場所とは言い難い。地方の田舎町の多くと同様、美波町も高齢化や過疎化といった問題を抱えている。
そんな美波町にオフィスを開設し、さらには東京から本社を移転してしまった会社がある。各種セキュリティソフトを開発するサイファー・テック株式会社だ。
元は老人ホームだったという建物を改修したオフィス「美波Lab」を訪問し、地元出身の社員である乃一智恵(ノイチ トモエ)さんと、東京と徳島を行ったり来たりしているという吉田基晴(ヨシダ モトハル)代表にお話を伺った。

左手の山の手前にあるのが、一部「美波Lab」として利用されている建物。

建物内には、ところどころ老人ホームだったときの名残も見られる。
Profile
乃一 智恵 Noichi Tomoe
徳島県海部郡海陽町出身。大学を卒業後、徳島市内にてシステム開発会社(本社:香川県)のシステムエンジニアとして4年勤務。退職して実家に戻って1年後、サイファー・テックのサテライトオフィスが設立されることを知り、「実家暮らしを続けながらITの経験を活かすことが出来る」と考えて入社、現在自社製品のテストを中心に開発支援を行っている。
父親が猟師だったことから小さい頃から狩猟犬の大会や山についていったことから狩猟を趣味としており、普段は出社前に狩猟犬の散歩をしたり、猟期の土日は山に猟に行ったりしている。近年はハンターの数が激減しており田畑が鹿などの被害にあっているが、趣味での範囲ながら少しでも被害軽減につながればと願っている。
地元でIT系の仕事なんて無理だと思っていた
サイファー・テックの社員20名(2014年8月現在)のうち、美波町で働く社員は3名。そのひとりの乃一さんは、美波町の隣の海陽町で生まれ育った。父親の影響で子どもの頃から狩猟犬の世話をし、猟期の週末にはハンティングを楽しむという「狩猟女子」だ。
現在は実家から車で通勤する乃一さんだが、高知の大学に進学するときに家を出て、卒業後はIT系企業に就職して徳島市内で働いていた。
家の事情でその会社を退職し、実家に戻った乃一さん。再び就職しようとした時は、また徳島に出ないといけないと考えていたという。というのも、実家から通える範囲には前職での経験が生かせるような仕事はなかったからだ。乃一さんに限らず、地元の若者のほとんどは進学や就職のタイミングで地元を離れている。また地元に残っている人も、その多くは阿南市など町外に働きに行ったりしている。
だが、乃一さんはたまたまそのタイミングで「美波Lab」のニュースを目にする。
「そろそろ就職を考えていた時に『美波Lab』ができるということを知りまして、『えー、こんなところにITの会社が!?』とびっくりしました。
調べてみたら社員を募集していることが分かり、実家から通える距離だったので応募しました」
めでたく採用が決まり、開発職の拠点であった徳島のオフィスでの研修を経て、乃一さんは美波Labでの勤務を始めた。
仕事も趣味も高いレベルで実現
乃一さんに美波Labで働くことの利点を聞いてみると、「仕事も趣味も、高い次元で実現していけること」という答えが返ってきた。これは、サイファー・テックが提唱している「半X半IT」、すなわち、趣味や地域での活動(X)と仕事(IT)を両立して充実した生活を送ることで仕事のアウトプットの精度も高めようという考え方を、実践できているということだ。
乃一さんが担当するのは、開発しているソフトの動作検証だ。集中力や思考力を必要とする仕事に、美波Labの環境はピッタリだろう。山や田んぼに囲まれたオフィスはとにかく静かで邪魔が入らない。少し疲れたら外に出て景色を眺めれば、リフレッシュもバッチリだ。
趣味に関しても、徳島市という都会に住んでいる時にはできなかったレベルで楽しむことができている。狩猟解禁の期間の週末は山に入ってイノシシなどを狩る。それ以外の時期も狩猟犬の世話に余念がない。平日でも、家族や地元の人に頼まれて獲物をさばいてから出社することがあるそうだ。
Profile
吉田 基晴 Yoshida Motoharu
1971年11月生まれ、徳島県海部郡美波町出身。株式会社ジャストシステムなどを経て、2003年にデジタルコンテンツや機密情報を保護する各種セキュリティ製品を開発・販売するサイファー・テック株式会社の設立に参画し、2005年から代表取締役(現任)を務める。
また2012年には美波町にサテライトオフィス「美波Lab」を設立して、仕事とプライベートの両方を大切にする生き方として「半×半IT」を提唱するとともに、2013年には地域課題の解決を図る地域活性事業会社・株式会社あわえを設立。現在都会と地方の両方を拠点に、東京と徳島を往復する生活を送りながら、地域活性に取り組んでいる。
自然環境や人間付き合いに、魅力を感じる人材がいる
地元での就職は無理だと思っていた乃一さんにとって、美波Labの開設は願ってもないチャンスだったわけだが、そもそも会社はなぜ美波町にオフィスを作ることにしたのか。
吉田代表によれば、それは「採用戦略の一貫」だった。
ソフトウェア開発という事業は、とにかく優秀な人材を獲得できるかどうかに負うところが大きい。しかし、人材獲得競争の激しい東京では、小さな企業が必要な人材を集めるのは難しかった。そこで考えたのが、自然が豊かな場所にオフィスを作り、「半X半IT」というライフスタイルを打ち出すということだった。
吉田代表は、自身が趣味として農作業をしていたことがきっかけで、そのようなアイデアを得たそうだ。
「震災前に3年間ほど千葉で農作業をやっていたのですが、それによって大きな充足感を得ていました。また、手作業だったので人手が必要で、友だちに声をかけたらみんな喜んで来てくれる。都会の大企業に勤める若い人が多かったのですが、そういう人たちの中には自然とのつながりを求めている人が結構いるんだなと、その時に感じたのです。
それで、農業もサーフィンも釣りもできるこの場所にオフィスを作れば、そういう環境を求めている人材が来てくれるだろうと考えました」
それ以前から、サイファー・テックの開発拠点は県庁所在地である徳島市内にもあったのだが、自然豊かな過疎地にはさらなる魅力があると、吉田代表は言う。
「車通勤が中心になる地方では飲み会などの社内交流も制約されるし、都会のような異業種交流会のような場も少ない。一方、美波町は田んぼがあって海があって、お祭りや地域活動を通じた密な人間づきあいがあるのが魅力です」
実際、美波Labの社員は趣味と仕事に精を出すだけでなく、地元社会への貢献や住民との交流も積極的に行っている。
例えば、地元の学校でITに関する出張授業を行ったり、中高生の職場体験の受け入れをしたりするほか、美波Labの目の前にある田んぼでは地元の人達の協力も得て米作りをしている。

田植えの後のバーベキューで獲物のイノシシを振る舞う乃一さん。
最近では養蜂も始めた。社員それぞれが自分の巣箱を持って、地元の人や親戚のおじさんなどに聞きながら、蜂を育てているそうだ。いずれ、「サイファー・テック製」のハチミツがお目見えする日も近いかもしれない。

美波Labに置かれた巣箱。たくさんの蜂が出入りしているのが見える。
豊かな自然があり人間づきあいができる、そんな職場環境に魅力を感じる人達がきっといるはずだという吉田代表の読みは当たり、美波Labができてからサイファー・テックへの求職者は質も量も増えたそう。全社員数は美波Lab開設以前の約3倍になっている。
新たに入社した人たちがみんな美波Labで働くようになったというわけではないのだが、美波Labの存在が会社の知名度アップや「半X半IT」というメッセージを伝える役割を果たし、その考え方に共感する技術力の高い人材が集まるようになったのだろう。
また、乃一さんによれば同僚はみんなフレンドリーで話しやすく、社内の雰囲気がとても良いのだそう。生活も仕事も充実して気持ちにゆとりがあるからこそ組織内の空気も良くなると考えれば、これも、「半X半IT」で豊かに生きようという姿勢が社内に浸透していることの効果ではないかと感じた。
「フリーオフィス」への挑戦で更なるイノベーションを
サイファー・テックは今年5月、社員が季節ごとに自ら勤務地を選べる「フリーオフィス」スタイルを推進することを発表した。
それまでは、開発職は徳島市か美波町、営業職や事務職などは東京に配属されていたが、今後は職種に関わらず社員自らが勤務地を選べるようにするというのだ。
吉田代表は、違う環境に身をおいて様々な刺激を受けることが、「考える」仕事においてとても効果的だと考えている。どんな職種であっても「考える」という要素はあるのだから、開発職にとどまらず全社員にその機会を与えたいという思いが、「フリーオフィス」の推進という形になったようだ。
それに、今や大半の仕事はパソコンとインターネットがあればできてしまう。徳島県は県内全域に光ファイバー網を整備しており、美波Labでも通信面で困ることはない。乃一さんも、業務上コミュニケーションが欠かせない徳島市の開発者とはSkypeなどで頻繁にやり取りをしており、東京の様子も営業担当者からのメールで分かるので、美波Labにいて不便や孤立感を感じることはないという。
しかしそれでも、仕事によっては今いる場所を離れるのは難しいという面があるのではないか? 全社員が好きな勤務地を選ぶなんて、本当にできるのだろうか? そんな疑問に対して、吉田社長は明快に答えてくれた。
「こんな過疎地にオフィスがあるというのは、多くの人にとっては非効率に見えるでしょう。
例えば、お客さんに会いに行けないところで営業なんて無理だと。
でも、それは自分で決めていることで、必ずしもお客さんが営業に会いたいと思っているかどうかは分かりませんよね。
この場所でどうやってやるかを考えれば、営業スタイルのイノベーションも起こせるはずで、それが他社との差別化になるんです。
実際、当社の営業マンに、原付きで四国八十八箇所を巡りながら道端からSkypeで会議に出たりして仕事した者もいますので、やろうと思えばできますよ」
「フリーオフィス」スタイルは、会社側が社員に対して「こうすればできますよ」と制度やしくみでお膳立てしてスタートするのではなく、「やりたければ、ぜひ挑戦してみなさい」と、各自の創意工夫を促すもののようだ。そうすることで、また新たなイノベーションが生まれることを期待しているのだろう。
今は東京と徳島を行ったり来たりしている吉田代表自身、子どもの進学のタイミングなども考え、近い将来美波町に移住するつもりだという。名実ともに過疎地のオフィスを本拠地とし、最先端のIT技術を提供する会社がどのように進化していくのか、今後も注目していきたい。
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取材・文/やつづか えり 撮影/八塚 裕太郎(狩猟犬、およびバーベキューの写真は乃一さんの提供)

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